2「運命の相手は何で決まるのか?」

 

運命の相手は何で決まるか?ということは、おそらくあなたの中で運命の人を願う人生の中で、最も重要性の高い内容になるでしょう。

 

運命の相手は上述のように、あなたの情動によって全てが決まったり、あるいは正確な答えになるとは限りません。

 

では何がそれを決める要素となり得るのでしょう?

 

それとは、あなた自身だと言えるのです。

 

そうです。

 

あなたがその人が自分の運命の相手だと、決めることで、それは決まるということです。

 

当サイト(マインディストKEN)の考えは、これに対して一貫している見解を持ち合わせています。

 

それとは、運命という概念は非物理的であり、非物理的なものは個人の解釈によって決定されるということです。

 

もう少し具体的にご紹介しましょう。

 

非物理的な要素や概念というものは、この世界に溢れかえっています。

 

例えばそれらは、愛、気持ち、豊かさ、魂といったものは、全て目に見えるものではありません。

 

これらの概念は個人で大きく異なるし、また完全に同じものはありません。

 

そして概念というものは、目に見えないものだけに機能しているのではなく、目に見えるものにも個人差を作り上げていると言えます。

 

例えばよくわかりやすいのが、お化け屋敷という目に見えるエンターテインメントです。

 

人を驚かしたり、怖い思いと体験をさせることが目的のエンターテイメントですが、これが怖い人と、その全く逆に楽しい人や興奮する人、さらにはつまらないという考えの人がいるのです。

 

お化け屋敷という目に見えるものが全く同じで、全く同じ空間で全く同じことをされ、全く同じ時間を過ごしていても、個人で受け取る概念と解釈は異なるのです。

 

それなのに、愛、運命、運命の相手という目に見えないし、物的な要素の全くないものに対して、誰にも共通した決まった事実があると、なぜ言えるのでしょう?

 

そうです。それは存在しないのです。

 

いや、正確にいうと、存在できないのです。

 

それが存在できる唯一の場所こそ、その人本人の中だけなのです。

 

運命とは個人的な解釈である、というのが当サイト(マインディストKEN)の考えであり、見解です。

 

そのため、運命の相手が誰であるかを決めることができるのも、あなた以外にない、ということになります。

 

人は運命の相手を知りたいと願い、色々とその証拠や証明をしたがります。

 

しかしそれも何もかも、個人的な解釈の域をこえず、個人的にそうだと決めつけているか、そうだと思いたいか、信じたいかという欲求的な感情が生まれていることが多くあります。

 

こんなことを言うと、運命の相手はとても魅力的に感じない、そう思うかもしれません。

 

しかしそれは全く違うと思います。

 

運命の相手がこの人だとか、誰であるかを自分で決めることができるなら、それは自分の選択と決断に、非常に強い責任感と納得、そして合意を獲得できることにつながるのです。

 

そして多くの場合で、人生に最も重要なものこそ、この責任感と納得と合意だと言えるでしょう。

 

自分の意見や解釈に、これらが加わることで、そこから生まれる行動や言動、そして選択はとても力強くなるでしょう。

 

運命の相手の証拠探しを、長い時間をかけてやっているよりも、その人と幸福になろうと自分に責任を持つ方が、最も素晴らしい時間を共有できるのではないのでしょうか。

 

あなたにとって運命の相手は、何かの証拠がないと、それを信じられないものなのでしょうか?

 

それはきっと違うはずです。

 

 

あなたの解釈でいいし、それがとても素晴らしいことでもあるのです。

 

運命の相手を決めるのは、外でもない自分であるなら、そしてそれに責任と納得と合意ができるなら、最も強い絆を、その人と構築できることでしょう。