運命の相手が「この人」と、わかるには?

 

運命の相手がこの人だとわかると、きっとあなたは安心できることでしょう。

 

それは可能か不可能かでいうと、概ね可能と言えるかもしれません。

 

しかし運命の相手がこの人だ、と理解できるには、ある精神と心理状態である必要があると言えるのです。

 

これより他ではまず語られない、その独自の内容を、あなたにお届けします。

 

あなたももしかすると、運命の人が誰だか、理解できる時が来るかもしれません。

 

 

1「運命の相手がこの人だ!とわかるようになるには」

 

まず、運命の相手の人と出会うと、ビビビっと感じたり、または衝撃的なインスピレーションを感じたり、いろいろな作用や特徴があると言われています。

 

当サイト(マインディストKEN)の考えには、これらの衝撃的、特に感情を大きく動かすような体験は、おそらく運命の相手ではない、という見解を示しているのです。

 

運命の相手がこの人だ!と明確にわかることは、きっと大きな感情的な動きがその証明だと思っている人は多くいるでしょう。

 

なぜなら、感情の動き、つまり、情動という作用は特に、人の体験的なことを真実だと思わせる力が強く、強固な記憶を残す力があるからと言えます。

 

強い感情、ビビビ、思考の停止、衝撃、驚き、いろいろな情動が、この人が運命の相手だ!というある種の錯覚を真実にしてしまいやすいのです。

 

これを錯覚と表現するのは、実は、あながち間違いでもないと言えます。

 

なぜなら、情動とは、真実を必ずしも捉えた反応とは言えないからです。

 

例えば情動は、熱いお風呂に足を触れたら「熱い!」と入れた足を引っ込めて、次はかなり慎重に入ろうとする一連の流れに作用しているものです。

 

この時、熱いお風呂のお湯を実体験として体験し、確かに熱いことがわかり、それは急に入ったら危険だという恐怖と思考まで生まれています。

 

だからさほど深く考えたりすることなく、当たり前のように次はそおっと足を入れるようになります。

 

お湯の熱さに恐怖感を覚えたからです。

 

これはまさに体験が恐怖となり、情動が生まれ、それが記憶に定着し、次への行動を制限している瞬間であると言えます。

 

 

情動は今後の行動に、大きく影響を与える要素になるのです。

 

熱いお風呂に入れば、誰でもそうするし、この時の情動は正しいと思うことでしょう。

 

しかし、熱いお風呂が大好きな人は、何も気にせず、入れるものです。

 

何が言いたいかというと、情動作用は個人によって差があり、恐怖ではなく逆に気持ちいという情動は、熱くて危険だという情動作用を起こした人とは、全く逆の解釈と行動をとるのです。

 

これは人生に大きく作用しています。

 

犬が怖い、ジェットコースターが怖い、お化け屋しが怖い、という人はいるでしょうが、これらが大好きな人もまたかなりの数いるのです。

 

そしてこの違いは、人生における今度の体験に制限や拡大を加えていくのです。

 

では、運命の相手だと何かしら情動作用が起こり、それがなぜ?錯覚に似たものである可能性があるのでしょう?

 

その理由の一つとは、欲求的な衝動が高まった場合が考えられるからです。

 

情動は欲求を生む場合があり、この時に生まれた欲求ほど、人はそれを満たしたいという思いが大きくなる傾向があるのです。

 

運命の相手はこの人だ!

 

という情動が強く感じるほど、欲求的な衝動が高まった場合があると言えるでしょう。

 

これを信じられない人は多くいます。

 

そうです、その理由というのも上述した、情動の作用はそれを真実だと捉えさせる働きがあると言えるからなのです。

 

先ほどのお風呂のお湯の例のように、熱いという情動がそれは危険だという真実だと思いこませ、それが行動にまで簡単に影響するのです。

 

運命の相手への情動は、その人が運命の人であるとかよりも、その人が欲しい、手に入れたい、という強い欲求に変わっている可能性があるのです。

 

このような欲求を満たそうとする働きは、強い行動力と意欲を生むことにもつながります。

 

その結果、2人は付き合うことや、恋が成就することはよくあります。

 

 

しかし別れてしまうことも、よくあるのです。

 

なぜなら欲求が満たされると、人はほぼ確実に、恋愛の熱が冷めるからです。

 

恋愛の熱が冷めることによって、欲求を満たすことに集中していた思考が、より幅広く思考できるようになっていく傾向となります。

 

思考が幅広くなると、これまで気がつかなかった事実に、多く気がつけるようになっていきます。

 

恋愛の熱は冷め、多くのことに気が付く中で、大抵は、なぜこの人を好きになったのだろう?という疑問が生まれることが多くなるでしょう。

 

なぜ?という疑問が生まれるということは、最初からその人を好きとか愛情から付き合ったのではないことが示唆できるのです。

 

そしてその多くが、自分の高まった欲求を満たすために、盲目になっていた可能性が言えるのです。

 

しかし、必ずしも情動が間違いであることでもないのです。

 

この世の中は、全てが可能性の中にあり、その答えをこれだけで決めつけることは不可能です。

 

可能性は二つあり、たとえ情動的なものが強くても、運命の相手である可能性と、そうでない可能性があるのです。

 

 

 

そして、それはどのように決定されるのか?

 

ということは、きっとあなたがこれから運命の相手を望み、そして結ばれ、結婚までの決意をするまで、重要となる内容になります。

 



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