運命の人が既婚者同士だった!この時どうするべきか?

 

運命の人が既婚者同士だった時、そこで正しい判断をすることができるのでしょうか。

 

これより先を読むと、きっと正しい判断をあなたが見つける助けになるでしょう。

 

既婚者同士で運命を感じた時、その事実に迫りたいと思います。

 

 

「運命の人が既婚者同士のとき」

 

まず、もしもあなたが既婚者であって、運命の人だと思った人や出会った人も、自分と同じく既婚者だった時、それは本当にあなたの運命の人なのでしょうか?

 

運命の人であるかどうか、その答えをきっと、あなたは他の何かに求めているのかも知れません。

 

他の何かに求めようとしているなら、そこには不安やどうしたら良いのかなど、悩みがあることでしょう。

 

そのように不安な思いが募りやすい理由というのも、既婚者同士がたとえ本当の運命の人であっても、これは本来の関係とは言えないし、また問題さえ孕んでいることがあるからです。

 

しかし、実際に既婚者同士でも運命を感じて、それがうまくいく場合と可能性も否定はできないものです。

 

そしてどちらにあなたが属するか、それがきっと、あなたの最もな関心ごとであると思われます。

 

結論から言うと、それを決定づける何か保証や証拠などは、存在しないでしょう。

 

なぜなら、今の結婚相手との関係も過去を振り返ってみると、同じことが言えるかも知れないからです。

 

例えば、過去を振り返ってみると、今の結婚にも運命的なものや、またはとてもポジティブな感情を抱いたことが思い出すことが可能でしょう。

 

そして実際に結婚をして、夫婦生活が始まり、人によっては子供が生まれ、忙しい日々と人生になっていったことでしょう。

 

結婚した当初は希望と幸福に満ちていたかも知れません。

 

しかし、それが時が過ぎていくと、現実や時間というものが当時の希望や幸福を色褪せて感じさせてしまうことは往々にしてあるものです。

 

色褪せて感じると言うのは、おそらく最も的確な表現と言えるかも知れません。

 

なぜなら、当時の結婚当初の生活や抱いていた感情というのは、おそらくそれ以前のものよりも非日常的な感覚と現実を味わっていたと考えられるからです。

 

非日常的なことを、人は求めている傾向があります。

 

つまり当たり前、平然、日常といった、心が踊らない状態を嫌う傾向があると言えるのです。

 

そこで結婚というのは、心がとても踊る体験であり、出来事であると言えます。

 

だから、結婚したすぐの時というのは、希望と幸福に胸が満たされ、あらゆることに幸せを実感しやすいか、都合の悪いことにはあまり関心を持たない心理状態になりやすいのです。

 

しかし、この心理状態はずっと続く可能性は、非常に低いのです。

 

なぜでしょう?

 

その理由の一つに、幸福を感じさせてくれる物事に、感覚的な慣れが生じるからと言えるでしょう。

 

これはとても単純な例え話から、理解を深めることができます。

 

例えば、あなたがあるお気に入りの洋服を購入したとしましょう。

 

それを手にした時はとても気分がポジティブなウキウキとしたものを実感しているはずです。

 

しかし数年後、タンスを整理しているとあの時、とてもウキウキさせてくれた洋服が出てきたとします。

 

このような時、大抵の場合で、同じようなウキウキした気分や、手にしたときの幸福、またはそれを着た時のポジテイブな心理状態は、ほぼなくなっているはずです。

 

もしかするとワンシーズンが過ぎた時には、もう全く心が踊らない心理になっているかも知れません。

 

何が言いたいかというと、運命の人だと思っている既婚者の人は、自分の日常的なものに非日常的な刺激を与えてくれただけ、という可能性もあるということです。

 

この違いはとてもよく、あなた自身で思考し、答えを決めていく必要があります。

 

運命なら離れない、運命なら結ばれる、運命なら2人は必ずうまくいく、そう信じたい思いは理解できます。

 

しかし、それはただ自分が思いたいだけ、信じていたいだけ、という心理状態になっているかも知れないことを、よく観察することが大切です。

 

人は非知情的なものに遭遇うし、それが欲しいと思った瞬間から、それを手に入れることにしか思考と意識が及ぼないことがあります。

 

それは欲求が生まれ、それを満たそうという強烈な感情が働く機能が、人にはあるからだと言えるでしょう。

 

これはドーパミンというホルモンや、脳の部位で言うと扁桃体という部位の活性によって、欲求を満たすことに集中させる働きがあると言われています。

 

そしてこのような心理状態になると、その人と一緒になることがいかに正しくて、正当で、妥当で、合理的か、という判断をしやすい傾向になります。

 

つまり、もう「イエス」と言うしかない状況に、自分で追い込んでいくのです。

 

これは危険な状態だと言わざるを得ません。

 

なぜなら、たとえいかなる思考によって、それが正当で妥当で合理的だという答えに到達したとしても、ある種の個人的解釈を超えないからです。

 

その判断を否定するつもりはありませんが、そこには内在しているリスクが必ず存在することを忘れてはならないでしょう。

 

そしてもし、あなたが本当の答えを導き出したいとしたら、そのことを考えることや、求めることから、完全に身を引いてみる時期を設けることが良いかも知れません。

 

今は高まっている感情と欲求が、あなたの理性的な思考を抑制し、欲求を満たすだけの浅はかな答えに支配されている可能性が示唆されます。

 

本当に運命を感じて、それに対して、最大限の責任のある答えを持つことは重要ではないでしょうか。

 

そのためには、自分が責任を持って、自信と明確な答えを、自分で導き出さなくてはならないでしょう。

 

言い換えるなら、正しい答えを探そうとしないことです。

 

正しい答えなど、どこにもありません。

 

もしこれまでの判断の間違いを認めて、新しい人生に進んでいくなら、それまでの間違いとそこから発生したいかなる現象も、受け入れるつもりで、この答えを決める必要があります。

 

それができないなら、おそらく既婚者同士で運命の人だと思い込むことは、責任を取れない事態が発生した場合は大きな苦痛を味わいかねません。

 

 

そして人は、間違いを犯したり、反省したりするものです。

 

何が正しいか、それを他のことに委ねるよりも、自分で何を認めて、何を受け入れて、何を決めるべきか、その答えを見つけることが重要だと考えます。

 

そしてその答えは、あなたの中でしか、見つけることはできないのですから。

 



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