「記憶と認識にアクセスできない理由」

 

人は、記憶と認識にアクセスしようと試みるとき、とても大きな不安感と恐怖感が生まれることがあります。

 

これはおそらく脳が、記憶と認識をあなたに理解されては困るから、ということがあるのです。

 

それはなぜか?

 

脳は防衛本能が高かく、特にそれを主体にして働いていると言っても過言ではないほどです。

 

防衛本能や本能とは、不快なことを避け、快楽なことを求めるというものが本能的な働きです。

 

つまり運命の人との出会いに対して、本当はそんなことは自分にはできないという記憶と錦があるなら、それは不快なことであり、だから脳はそれを手にしようとしないか、できないことをしようとしていることがあるのです。

 

人の心理においても、上記の場合は運命の人と出会えないことが自然で、出会わない方が良いと合理的に考え、それが正しいとさえ感じてしまうでしょう。

 

しかし、運命の人と出会いたい欲求が高い人ほど、本当はそう思っていないのに、欲求だけは高まっていることが多くあるのです。

 

それはなぜでしょう?

 

その理由の一つに、欲求が高まることによって、自分を客観的に見ることができていない状況になりやすいからです。

 

自分を客観的に見られないというのは、その時点で、記憶と認識にアクセスする重要性と必要性をほぼ全く感じていません。

 

なぜなら、欲求を埋めること、あるいは満たすことが最優先となっていて、自分が本当はどう思っているかなどは、この時は全く関係がないからです。

 

自分が本当に思っていなくて、どんなに欲求を満たそうとしても、それは上っ面の、極めて表面的なものでしか埋めることができないでしょう。

 

そして大抵の場合は、それで満足をしてしまい、間違ったことに気がつき、また欲求が再燃して、それを手短に満たす・・・・という繰り返しになってしまうことが多くあるのです。

 

そのもっともな理由として、運命の人や、運命という概念こそが、表面的な領域ではないからです。

 

とても創造性の高い領域のことだと言えるからです。

 

運命の人の証拠や、その概念は、全く目に見えないものです。

 

誰にも何が正しいかなど、物理的な証拠を元に正解を導き出すことは、不可能なのです。

 

これは愛とは何か?という問いに対して、正解がないことに似ています。

 

愛の概念は確かに人が感じることはあっても、それは人それぞれで異なるし、また愛は目に見えるものではありません。

 

これに対して答えを導き出せる人は、この世界の中でたった1人しかいません。

 

それが、あなたであり、本人なのです。

 

つまり、自分の出す回答に対して、絶対的な自信と確信を持つことくらいしか、正しいと思うことはできないのです。

 

だからこそ、本当は自分はどう思っているのか?ということを、しっかりと自分で見つめることや、発見する必要があると言えるのです。

 

脳はあなたや自分を守ろうとするために、過去の体験から記憶に蓄積し、そしてその記憶を元に、自分がどんな人間で、どんなものであるかを決めつけている可能性があります。

 

それが自己否定的なことであるなら、運命の人と出会える訳がないと思っているだろうし、そして運命の出会いを実現することは不可能に近いでしょう。

 

これは1人の時間を作り、いつも、自問自答する習慣をつけることが重要となるでしょう。

 

そして記憶と認識を徐々に解放していくことによって、それまで感じていた恐怖感や不安感も徐々に小さくなっていくことでしょう。

 

つまりあなたが自分の脳の記憶に対して、「そうじゃないよ」「それは必ずしも正しいわけではないよ」と、教えてあげることにつながります。

 

それまで脳があなたに教えていたことを、今度はあなたが脳に、そうではないということを教えてあげるようなものです。

 

そして自己否定の多くは、思い込み、決めつけ、偏見であることに気がつくでしょう。