「運命の人が期待感にならないことが大切」

 

運命の人かもしれない、いやきっと運命の人だ、そのように答えを決めつけることが、意外にも多くあるものです。

 

しかし、運命の人が創造的なもので、あくまで個人の創造的解釈だとすると、これは正しいとも言えるし、また間違いだとも言える、両方の可能性があるのです。

 

ここで可能性と言ったのは、運命の人だと決めることを、とても的確かつ真実性の高い表現だと言えるからです。

 

例えば以前の結婚相手の人の時も、もしかしたら、この人が運命の人だと思ったとしましょう。

 

さらにそこには、とても強烈な感情が働き、全く疑う余地がなかったとします。

 

しかし結果的に、別れたとします。

 

これは何を物語っているのでしょうか?

 

それこそが、可能性という表現だと言えるのです。

 

人や、また人の決定したことは、すべて可能性の領域の中にあり、それを超えることは不可能なことです。

 

なぜなら、運命の人だと確信して結婚しても、結果的に別れることもあるし、また別れないことの両方の可能性が常にあり続けるからなのです。

 

二つの結果は常に存在し、そしてどちらかが消えることはありません。

 

可能性の中のことを、確実な答えとして決めたところで、それが結果に必ず結びつく保証はないのです。

 

運命の人だと強く信じながらも、別れたしまったからその人は結果的に運命の人ではなかった、という答えの出し方をすると、もしかするとそのあとの再婚にも同じことが起こる場合があると言えます。

 

なぜなら、自分がその人と一緒になる理由や本質的部分が、運命かどうかに頼り切っている可能性が高く、自分の本意でないことが多くあるからと言えます。

 

運命の人であると、自分でその答えを出すことはとても重要です。

 

しかしそれよりも前に、本当の自分の答えを出すことは、それよりも重要なことだと言えます。

 

例えばそれは、「この人と一緒になりたい」「どんなことがあっても、この人といられるならそれでいい」という答えがでた時は、運命の人という概念への便りや依存をかなりなくした回答だと言えるでしょう。

 

なぜなら、運命の人であるという証拠などは不要で、その人と一緒にいる時に起こり得る負の結果に対しても、受け入れることができた可能性が高いからです。

 

結婚しても、またその相手が自分の運命の人だと決めたとしても、悪いことは起こりえます。

 

悪いことが起こることを前提に、その人と一緒になるのなら、そうでない場合と大きな差が生まれることでしょう。

 

例えば、この人と一緒になるとこんな良いことがあるだろう、でも、こんな悪いこともあるだろう・・・。というのは考えられるものです。

 

しかし、相手がきっと変わるとか、変わってくれるとか、変えて見せるということはほぼ全て、将来への期待でしかないと言わざる得ないものです。

 

その理由というのも、上述のように、可能性は良い結果も悪い結果も、消えることはないからです。

 

このような期待と期待感によって結婚をしてしまう時、もし悪い結果が訪れたとしても、それを受け入れらないことが多くなる傾向にあります。

 

このような夫婦生活の典型的な例として、良い時は良いけど、悪い時は悪い、という関係性を築き易いと言えるでしょう。

 

 

相手が変わらなくても、そのままでも、一緒にいることが幸福なのだ、という回答が自分の中で確信を持って出せたのなら、それはあなたにとって素晴らしい結婚になる可能性があります。

 

運命の人が期待感にならないように、それで答えを決めないようにすることは、とても重要なのです。